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自分らしいってのは自分で思うことっていうより、外からそう見えるってこと。
「自分を知ってもそれが自分の全てじゃない」 なりたい自分を創るのは自分自身 泣いている自分を笑わすのも自分自身 自分が変わったことそれは周りの人や物、環境が教えてくれる。 「自分だけで自分らしさなんてわかんないよ」
前に進まなきゃ見えないもの 前に進むと見えなくなるもの
それは不安や恐怖、安心や希望。 立ち止まって見るものはそれら全てともいえる。 進んでるうちに不安は希望によって打ち消され、恐怖は安心へと変わる しかし安心はいつだって、恐怖に変わる。進むことが重要なのではない。 立ち止まったとしても、進めるという希望があるから進む道を探すのである。 進んでいても恐怖がなくなるわけではない。恐怖したことが起きないからこそ安心できる。 恐怖は危機回避のための安全装置といえる。 決して抗えないものではないのである。
一度味わった苦痛 忘れられない恐怖
そういうものを乗り越える力それは特別でありながら、誰にでも出来る行動 「特別なのは苦痛であって、乗り越えることではない」 苦痛を恐怖を感じられることは特別なことだからこそ、それに対する対処を行う 同じ恐怖を感じたくないからこそ、それを回避する方法を考えるんでしょうな。
終わらないものはない それは自然の摂理と言うやつだ
だからと言って何時終わるのかは終わってみなければわからない 自分がどういう存在かは自分が思っている存在でしかありえない 自分は何をしたかを評価するのは自分だけだろう 結局それは客観的思考というやつだ 考えてわかる自分と行動できる自分は別物だってことを理解するのが重要だ 自分を知りたいならまず行動してみせろってことさ
自分の信じる夢
それが本当に夢かどうか確かめたときに叶う 「夢が叶うときは自分が叶ったことを知ったとき」 叶わない夢は叶っていることを知らない自分
自分の身を削るだけのことはいい結果をもたらしはしない
どんなになにかのため 誰かのためと自分を苦しめてみたところで何も救えはしない 救わなければならないものの本当の形をみてはいない 苦しみや悲しみの姿しか知らなければ、救われることなどわからない 「何かのため 誰かのためと言うのなら自分のために」 まだまだ怖くて仕方ないんだけどね 自分が救われるってことがね。
あいまいな人間にはなにができるのかできないのかわからない
だけどあいまいだからこそ100%できることがある それは機械でさえすることはできない だからといって機械より優れているわけではない 周りからみて測れる力は人よりも機械のほうが断然優れている 「あいまいとはいい加減でもごまかすことでもなく、自然なことさ」 自然な振る舞いはいつでもあいまいなもの
できることはそれぞれ立場によっても感情によっても変わる
誰もが同じことをすればいいわけではない けれど誰もが違うことをすればいいわけでもない 「ねえ 僕ができることはなに?」 それはキミが見つけること キミの大切なもののためにできること 「人に言われてからやるのは遅い 言われてからでもできることはやらなきゃね」
信じること 守ること
守ることそれは守れると信じること 守れると信じないものは守りきらない 最後の最後まであがくことをしない。 守る力があるかないかではない 守りきるためにどこまでやるかなのである。 己の力を判断してあきらめるものにできることは投げやりになることくらいだ。 力がないのならつければいい、ようは守るために必要なものを手に入れればいいだけのこと。 自分の力なんぞ信じる必要はない。むしろあてにするもんじゃない、タイテイ役にたたんから。 重要なのは力云々じゃなくて守れるかどうか、信じろ己を守るためにね。 「誰かを護る力は、自分を守る力すらないものには決して持つことなんてできない」 誰かを護りたいのなら、まず自分を守ることからはじめること。
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